2018年4月27日金曜日

北朝鮮の弾道ミサイル開発, North Korea Balistic missile development

北朝鮮の弾道ミサイル開発, North Korea Balistic missile development




Update:2020.09.02


【関連記事】



北朝鮮と弾道ミサイル開発の歴史について解説する。北朝鮮は、主にロシアと中国からの技術導入、改良を開発の軸としてきた。スカッドミサイルとして知られるR-17や、SLBMのR-27等のリバースエンジニアリングを行い、模倣・改良する事で開発実施してきた 歴史がある。




         






1.北朝鮮の弾道ミサイル開発の始まり


1970年代、北朝鮮が弾道ミサイルを保有する動機があった。それは、米軍との紛争が起きた際に、進行を阻止するための武器として有望視していたこと。また、米軍との紛争が発生した場合、当時のソ連や中国の支援が得られるか疑問だったことが弾道ミサイルの関心へと拍車をかけた。

このため当初、ソ連に対して1960年代前半の技術レベルである短距離弾道ミサイルの輸入を要求したが、少なくともソ連は最初の要求を拒否した。代わりに1969-1970年に無誘導地対地ロケット弾であるFROG-5、FROG-7Aを輸出している。

北朝鮮はこのロケット弾に化学兵器弾頭を搭載出来る様に改造して、弾道ミサイルの基本的な技術を習得した様である。従って、1970年代には、ロケット弾による化学兵器運用技術を既に保有していた。

ソ連が弾道ミサイル輸出の要求に応じなかったため、北朝鮮は弾道ミサイルの開発・製造・保有する助けを中国に求めた。この結果、1971年9月に弾道ミサイル等の兵器システムを開発製造するための協力を中国との間に締結した。

しかしこの協定は、1977年、DF-61(東風61号)への共同開発が打診されるまで、具体的な技術協力はその後6年刊に渡って行われていない。(その後、DF-61は開発中止となった)その理由は、開発に必要な人材の能力が不十分だったからである。このために、その後北朝鮮は高度なハードウェアとそれを扱う技術者については、技術移転に依存する道を歩み始める。





2.スカッドミサイルの取得、リバースエンジニアリング


数年後に勃発した第4次中東戦争において、北朝鮮はエジプトに対して軍事援助を実施した。戦後の1976年、エジプトは軍事援助の見返りとして、少なくとも2基のR-17(一般的に、スカッドミサイルと呼ばれる)を北朝鮮に輸出する。

これをコピーしたのが、北朝鮮の弾道ミサイル技術の歴史の始まりである。エジプトも自国で生産したかった様で、エジプトに対するR-17コピーを手伝う約束付きの輸出であった。

続く1970年代後半、北朝鮮はR-17のリバースエンジニアリングを開始する。これには、1971年に締結した枠組み等によって、中国の協力があり、特にロケットエンジンの設計、製造、冶金技術は中国のノウハウを取り入れた。イラク等の中東諸国とは異なり、北朝鮮がR-17をスムーズにコピーする事が出来た理由がここにある。

1983年にはR-17のコピー版であるHwasong-5が完成し、試射を実施した。一連の開発が終了後、約束に基づきエジプトに技術資料や図面を渡している。

リバースエンジニアリングから始まったのが北朝鮮の弾道ミサイルの歴史であるが、その後ソ連から正式にライセンス生産権を入手したとの情報もある。

事実、北朝鮮はリバースエンジニアリングによって、自国において弾道ミサイル製造技術を確立した後も、ロシアの正式ルートからR-17の輸入を行っており、1994年にはロシアの国営武器輸出企業;ロスヴァロジェニエ社を通じて1994年6月29日付の契約において、R-17を20基、発射機を3基購入・輸入している。

価格は、当時レートでR-17 1基あたり3570万円であった。米国との緊張関係が高まった時期の購入であり、ミサイルストックを増やす意味での購入であったが、これは正式な輸入である。このため、中国に加えてソ連・ロシアからの技術的なつながりがあった可能性もある。





3.イラン・イラク戦争での弾道ミサイル特需


1980年代前半は、財政と技術面から開発速度はゆるやかであったが、1985~1980年代後半にかけて、特需が訪れた。イラン・イラク戦争である。イランはソ連製R-17をリビアから輸入したが、すぐに撃ち尽して枯渇した。そのため、北朝鮮のHwasong-5を輸出することと引き換えに、技術支援や資金援助を実施し、ミサイル開発を支援することで合意した。

1985年、北朝鮮はイランとの協力を締結する。1985-1986年にかけて、Hwasong-5の量産工場を建設。1987年に量産を開始した。当時イラン・イラク戦争の真っただ中であり、1987-1988年には、特需で月産8-10基の生産をしていたと考えられている。

極めて素早く量産体制に移行しているが、これらは中国等の海外からの技術導入により、なし得た結果であろう。1988年からイランでは、Shahab 1という名で北朝鮮が製造したR-17をノックダウン生産(最終組み立てとテスト)を行っていた。

なお、イランにR-17を売却後、敵方のイラクへも売却したのではないかという情報もあり、本当であれば見境なしに輸出を行っていたことになる。

大量生産開始の1987年前後に、続いて独自改良したHwasong-6(Scud-C)の開発を開始している。Hwasong-6は、弾体重量を600kg程度に抑え、その分推進剤を搭載しう、機体を軽量鋼に変更して、射程を600kmに長射程化された。これは韓国全域を射程距離に収めるためである。





4.スカッドミサイルの改良版:ノドン開発


続く1988年、より長射程、射程約1000kmの準中距離弾道ミサイル(MRBM);ノドンの設計作業に着手した。沖縄の米軍基地、そして日本を射程圏内に収めるためである。

ノドンは機体、エンジン共にR-17の拡大版である。そのため、全長と胴径の比率であるL/DがR-17と一致している。また、中東に輸出された技術から間接的にR-17の拡大版であることが判明している。

中国等の援助があったとはいえ、経験が無い中で何故短期間で開発できたかについては、性能が下がるとは言えどR-17のロケットエンジンが、拡大と拡張に向いているシンプルな構造であった事が一因として挙げられる。


北朝鮮のスカッドミサイル(R-17)亜種 進化図


一連の開発において、設計は第4機械工業局、製造工場は第26汎用工場にて行われた。発射機であるMAZ 543 TELも第125汎用工場でコピーされた。

1990年5月の最初の発射飛行は、失敗したと米国の偵察衛星で確認されている。驚くことに、発射試験に成功していないにも関わらず、北朝鮮は1990年からリビア、イラン、シリア、パキスタン等の各国に対し、先行してノドンの営業受注活動を既に開始している。

また、1991年当時、Hwasong-6も量産体制に入っていたが、一方で中東諸国にスカッドミサイル工場の建設も開始した。これは、中東諸国への技術移転であり、中東でR-17を製造出来る工場を建設するものであった。弾道ミサイルを外貨獲得手段として、積極的に輸出している姿が伺える。

1993年5月29日、北朝鮮は日本海に向けて3発のノドン発射に成功した。2発は約100km、1発は550km飛んで、能登半島北方350kmに着弾した。これにより、実戦配備が開始された。実は、開発時における北朝鮮のノドン発射成功は、本試験と1991年8月の2階きりであり、周辺国も考慮したのか、あるいは観測を行うための試験的なレンジでわざとそうしたのか、飛距離は約500kmと、実際見積もられる能力の半分であった。

このため、発射試験に関する不足データを補うため、中東諸国との開発データ共有・協力があったのではないかと推測されている。この直後から、実戦配備が始まったと見られている。

また、同年1993年には、145基のノドンを5億ドルでイランへ輸出する売却契約を結んでいる。1994年中頃には最初のロットがイランに出荷された。イランへの輸出は、2基のジャンボジェット機を通じて行われたという記録もあり、ジャンボジェット機1基あたり最大50基を積み込み可能であったとの考え方もある。(容積的に疑問ではあるが)






5.ノドン開発から各種弾道ミサイルへの技術的波及


ノドン開発後、北朝鮮は弾道ミサイルの長距離化・大型化を進めて行く事となる。1998年には、より大型かつ3段式のテポドンの発射試験を実施した。第1段をノドン、第2段にR-17、そして第3段にSS-21ロケットモータが搭載されていると考えられており、この様に段階的に、弾道ミサイルを拡大・組み合わせる開発を2000年代まで推進している。





テポドンにおける各段構成要素


この様な歴史的経緯を踏まえると、中東での弾道ミサイル開発と北朝鮮での開発というのは、根本的に経緯が違う事が分かる。

北朝鮮の開発速度が速い事は事実であるが、だからと言って非常に少ない予算で短期間に実現している事が全て独自開発とは限らないため、その技術は一体どこから来たのか考える必要がある。






         




Reference





This article explains the history of North Korea and its ballistic missile development. North Korea's development has centered on introducing and improving technology, primarily from Russia and China. It has a history of developing the R-17, known as the Scud missile, the R-27 SLBM, and other missiles by reverse engineering, imitating and improving them.



1.The Beginning of North Korea's Ballistic Missile Development


In the 1970s, North Korea had an incentive to possess ballistic missiles. This was because it was seen as a promising weapon to stop progress in the event of a conflict with the U.S. military. Also, the interest in ballistic missiles was spurred by doubts about the availability of support from the Soviet Union and China at the time in the event of a conflict with the U.S. military.

It initially demanded that the Soviet Union import short-range ballistic missiles at the technology level of the early 1960s, but at least the Soviet Union rejected the initial demand. Instead, they exported unguided surface-to-surface rockets, the FROG-5 and FROG-7A, from 1969-1970.

North Korea seems to have mastered the basic technology of ballistic missiles by modifying these rockets to be able to carry chemical weapons warheads. Thus, in the 1970s North Korea already possessed the technology to operate chemical weapons with rockets.

When the Soviet Union did not respond to North Korea's request to export ballistic missiles, North Korea asked China for help in developing, manufacturing and possessing ballistic missiles. As a result, it signed a cooperation agreement with China in September 1971 to develop and manufacture ballistic missiles and other weapons systems.

However, this agreement was not followed by concrete technical cooperation for the next six years until 1977, when the two sides were approached to jointly develop the DF-61 (Dongfeng 61). (The development of the DF-61 was later cancelled.) The reason for this was that the human resources required for development were insufficient. For this reason, North Korea then began to rely on technology transfer for advanced hardware and the engineers who would work with it.






2.Acquisition and reverse engineering of Scud missiles


In the Fourth Middle East War that broke out a few years later, North Korea provided military aid to Egypt. In 1976, after the war, Egypt exported at least two R-17s (commonly referred to as Scud missiles) to North Korea in return for military aid.

This was copied, and this was the beginning of the history of North Korean ballistic missile technology. Egypt also wanted to produce these missiles in its own country, and the exports came with the promise of helping to copy the R-17 to Egypt.

Following this, in the late 1970s, North Korea began reverse engineering the R-17. This involved Chinese cooperation, due to the framework signed in 1971 and other factors, especially in the design, manufacture and metallurgical technology of the rocket engine, which incorporated Chinese know-how. This is the reason why North Korea was able to copy the R-17 so smoothly, unlike Iraq and other Middle Eastern countries.

In 1983, a copy of the R-17, the Hwasong-5, was completed and test-fired. After a series of developments were completed, the technical documents and drawings were handed over to Egypt in accordance with a promise.

North Korea's ballistic missile history began with reverse engineering, but there are reports that it has since obtained formal license production rights from the Soviet Union.

In fact, even after North Korea established ballistic missile production technology in its own country through reverse engineering, it continued to import R-17s through official Russian channels, and in 1994 it purchased and imported 20 R-17s and three launchers under a contract dated June 29, 1994, through Russia's state-owned arms exporter; Rosvalozhenie.

The price was 35.7 million yen per R-17 at the rate of the time. The purchase came at a time of heightened tensions with the United States and was meant to increase the missile stock, but this was an official import. As such, there may have been technical links from the Soviet Union and Russia in addition to China.






3.Ballistic Missile Special Demand in the Iran-Iraq War


In the early 1980s, the rate of development was slow due to financial and technological considerations, but from 1985 to the late 1980s, a special demand arrived. This was the Iran-Iraq War. Iran imported Soviet-made R-17s from Libya, but they were quickly shot out and depleted. So, in exchange for exporting North Korean Hwasong-5s, the two sides agreed to provide technical and financial assistance and support for missile development.

In 1985, North Korea signed a cooperation agreement with Iran, building a mass production plant for the Hwasong-5 during 1985-1986, with mass production beginning in 1987. At the time, the Iran-Iraq war was in full swing, and it is believed that North Korea was producing 8-10 units per month by 1987-1988 due to special demand.

Since 1988, Iran has been running knockdown production (final assembly and testing) of the North Korean-built R-17 under the name Shahab 1.

Incidentally, there are reports that after selling the R-17s to Iran, the North Koreans may have sold them to their adversaries in Iraq, and if this is true, they would have been exporting them indiscriminately.

Around 1987, when mass production began, development of the Scud-C (Huwasong-6), an improved version of the Hwasong-6, was begun, with a bullet weight of only 600kg and propellant, and a lighter steel fuselage to extend its range to 600km. This was done in order to keep the whole of Korea within its range.







4.An improved version of the Scud missile: Nodong development


Then, in 1988, work began on the design of the longer-range Nodong, a sub-intermediate range ballistic missile (MRBM) with a range of about 1,000 kilometers. The purpose of the Nodong was to keep the U.S. military base in Okinawa and Japan within range.

The Nodong is a larger version of the R-17, both in fuselage and engine. The Nodong was an enlarged version of the R-17, so its length to fuselage diameter ratio, or L/D, matched that of the R-17. It has also been indirectly identified as an enlarged version of the R-17, based on technology exported to the Middle East.

One of the reasons why they were able to develop it in such a short period of time with the assistance of China and other countries but without experience is that the R-17 rocket engine was a simple structure suitable for expansion and expansion, even though its performance was lowered.


North Korea's Scud Missile (R-17) Variant Evolution



In the series of developments, the design was carried out at the 4th Mechanical Industry Department and the manufacturing plant at the 26th General Purpose Plant. The launcher, MAZ 543 TEL, was also copied at the 125th General Purpose Plant.

The first launch flight in May 1990 was confirmed by U.S. reconnaissance satellites to have failed. Surprisingly, despite the lack of a successful launch test, North Korea has already begun operating orders for the Nodong ahead of time to countries such as Libya, Iran, Syria, and Pakistan, beginning in 1990.

At that time in 1991, the Hwasong-6 was also in mass production, while it also began building Scud missile factories in Middle Eastern countries. This was a transfer of technology to Middle Eastern countries to build a plant capable of manufacturing the R-17 in the Middle East. We can see that the country is actively exporting ballistic missiles as a means of acquiring foreign currency.

On May 29, 1993, North Korea successfully launched three Nodong missiles into the Sea of Japan: two flew about 100 km and one flew 550 km to land 350 km north of the Noto Peninsula. This marked the start of the actual deployment of the Nodong. In fact, North Korea's successful launch of Nodong at the time of development was only two stories, the main test and the August 1991 launch, and the range was only about 500 km, half of the actual estimated capacity, perhaps because they took neighboring countries into account, or perhaps because they deliberately did so at a test range for observation.

It has been speculated that this may have led to development data sharing and cooperation with Middle Eastern countries to make up for the lack of data on launch tests. It is believed that field deployment began immediately after this.

In the same year, 1993, a sale agreement was signed to export 145 Nodong units to Iran for $500 million; the first lot was shipped to Iran in mid-1994. Some records show that exports to Iran were made through two jumbo jets, and some believe that each jumbo jet was capable of carrying up to 50 units. (Volume-wise, it is questionable.)







5.Technological ripple effect from the development of Nodong to various ballistic missiles


After the development of Nodong, the North Koreans began to develop longer-range and larger ballistic missiles, and in 1998 they conducted a test launch of a larger, three-stage Taepodong missile. It is believed that the first stage is equipped with the Nodong, the second stage with the R-17, and the third stage with the SS-21 rocket motor, and the development of ballistic missiles that are gradually expanded and combined in this way is being promoted until the 2000s.





Each stage component in the tepodon



The historical background of ballistic missile development in the Middle East is fundamentally different from that of North Korea.

It is true that North Korea's development speed is fast, but that doesn't mean that everything they have achieved in a short period of time on a very small budget is their own development, so it is important to consider where the technology came from.




0 件のコメント:

コメントを投稿