MHI LE-1, Japanese First Liquid Rocket Engine for Space
LE-1は、高度100kmの宇宙空間を目指した日本初の液体燃料ロケットエンジンであった。しかし、長らくその正体は謎であった。
筆者は、公開されている限りにおいて、日本国内のあらゆる文献(各種書籍、宇宙開発事業団報告書、宇宙科学研究所報告書、航空宇宙技術研究所報告書、三菱重工技報、防衛庁技報、日本航空宇宙学会誌等)を調査した。日本初の宇宙用液体ロケットエンジンとは如何なる物だったか。ここに、その謎を終わらせるべく、執筆する。
1.日本の液体ロケットエンジン:LE-X
様々な資料や書籍を拝見しても、日本の宇宙用ロケットエンジンの歴史は、N-IロケットのLE-3から始まる。では、LE-1とLE-2は何処に行ったのか。LE-3より前に開発されたLE-2が当時の技術報告資料で「管構造液体ロケットエンジン」と記されている事から、開発当時は公式に命名されておらず、LE-3の開発時、命名の際に遡ってナンバリングされたと考えられる。
かつて日本の宇宙開発に関わる研究所として、文部省系の宇宙科学研究所(ISAS)、科学技術庁系の航空宇宙技術研究所(NAL)が存在した。(ここに、科学技術庁下の特殊法人:宇宙開発事業団(NASDA)が加わって、2003年統合し、JAXAとなる)
ISASとNALは共に、硝酸/ケロシン系の常温保存推進剤によるロケットエンジン、あるいは液体酸素/液体水素のエンジン等、複数のエンジンを研究のために試作していた。
しかし、それらに「LE-X」(Xは数字)と名付けられる事は無かった。この事実より、LE-Xという名前は、単に研究用ではなく、宇宙へ打ち上げられるロケットに実装される、あるいは実用化を想定したロケットエンジンに与えられるプレミアムな称号であると言える。
余談だが、LE-Xと名付けられたロケットエンジンは、LE-3開発以降、Xが奇数の番号のみ実用化かつ量産されている。(LE-3、LE-5、LE-7)
ここで、Xが偶数の場合は、実用化かつ量産には至っていない。(LE-6、LE-8)
このため、ロケットエンジンメーカーは縁起担ぎのために奇数番号の開発契約を取得したいと噂される。
また、全体で見れば、奇数番号のLE-Xは宇宙空間に到達、宇宙空間を目指して発射されている。(LE-1、LE-3、LE-5、LE-7)これらのエンジンは全て、三菱重工業製(MHI)である。
2018年現在開発中のH-3ロケットに搭載予定のLE-9も奇数番号であり、これもまたMHI製である。MHI強い(確信)
2.欠番となったロケットエンジン達:LE-X
さて、LE-1、LE-2、LE-4、LE-6等の欠番ロケットエンジン達は、長らく正体が不明であったが、間接的な情報が米国航空宇宙学会(AIAA)の資料から発掘された。
NASDAが研究開発した液体ロケットエンジン
これによると、LE-1は、LS-Aロケットの第2段目に搭載されたエンジンと記されている。ここを起点にして、LS-Aの第2段エンジンについて調査を行った。
References
[1] 日本液体ロケットエンジン欠番資料発掘
https://togetter.com/li/639078
[2] AIAA93-2598
[3] 日本ロケット物語, 大澤弘之
3.LS-Aロケット開発計画
LS-Aは、科学技術庁における液体ロケット開発と実用宇宙ロケットエンジン開発の始まりである。1969年以降はNASDAに引き継がれる。また、LS-Aの機体開発等では、既に存在していたNALもプロジェクトに参加した。科学技術庁という行政機関が直接ロケット打ち上げ業務を執行したのは、後にも先にもこれが最初で最後である。
総理府の宇宙開発審議会での決定に従って、1961年より科学技術庁は宇宙開発業務を開始した。これをトリガーにしたLS-Aロケット開発開始は1961年からであり、「高度100kmまでの観測用液体ロケット」という名称で実施された。これを三菱造船 長崎製作所(現 三菱重工 長崎造船所)が受注する事になる。
当初は、SLR(Sounding Liquid Rocket)と呼ばれた。その後、第2段が液体ロケット、第1段目が固体ロケットであることから、その後正式に、LSロケット(Liquid-Solid)と名付けられる。ブースタに固体、サステナに液体を用いる物である。この2段目の液体ロケットエンジンが、LE-1である。
表向き、LS-Aの開発目的は、観測ロケットの開発である。台風観測や気象制御といったテーマを題目に挙げていた。しかしそれらのミッションは、全段固体ロケットで達成出来る物であり、液体ロケットはオーバースペックである。
科学技術庁の本音は、将来に向けた宇宙用大型液体ロケット開発の知見を得るための物であった。実際、東大でペンシルロケットから開発発展した観測ロケットが既にあり、科学技術庁の観測ロケットとしては、NALが当時並行して全段固体の物を開発していた。(SA, SB, SCロケット)
後に続く、Nロケット計画(旧Qロケット)をにらみ、実用衛星打ち上げ用として、高比推力を得やすく、姿勢制御や誘導制御しやすい、液体ロケットを開発するという方針である。
LS-Aロケット外観図
4.LS-Aロケットの仕様
全 長:7553-7550mm (第1段目:3231mm, 第2段目:4545mm)
胴 径:第1段目:Φ350mm, 第2段目:Φ300mm
重 量:第1段目:475kg, 第2段目:290kg(空虚重量170kg, 110kg)
第1段目:固体ロケットモータ(旭化成製造, 過安系コンポジット)
Isp 約210s, 推力6tf, 燃焼圧45kg/cm2
第2段目:LE-1 ロケットエンジン
質 量 比:1.65(第1段目),1.93(第2段目)
ペイロード:40kg (計画値:20~30kg)
高 度:100~150km(計画値)
水平距離:100~250km(計画値)
総推力:60t・s
5.LS-Aロケットの契約担当企業
LS-Aロケットの契約担当会社図
現在の三菱重工 長崎造船所を主契約者として、三菱電機、キャノン、フジクラ、川崎重工、IHIエアロスペース(日産自動車)、旭化成、NEC等、今日宇宙開発に従事している企業が開発に参加している。(上記図参照)
References
[4] LS-A型ロケット, 文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaihatu/space/kaihatsushi/detail/1299740.htm
[5] LS-A型液固体二段式ロケット, 慶本忠雄他, 三菱重工技報
6.LE-1ロケットエンジンの性能諸元
複数の資料より整合性を取り、総合的に筆者が判断したLE-1の性能値を以下に示す。残念ながら、LE-1の具体的な写真や図面については入手することが出来なかった。
推 力:1.0 tf(1000kgf)※1
推進剤:硝酸/ケロシン ※2
推進剤供給法:ガス押し式
燃焼圧力(Pc):20 kg/cm2
燃焼時間:25 s
比推力:約200 s
推進剤流量:4.72kg/s
胴 径:Φ300 mm以下
膨張比(ε):3
冷却方式:再生冷却方式
着火方式:自己着火方式 ※3
LS-Aロケットに搭載されたLE-1ロケットエンジン
※1 三菱重工資料では、LS-A 1号機、2号機は上限1050kgf等、多少ばらつきがある。
※2 AIAA93-2598では、硝酸/UDMHと書かれているが、製造元の三菱重工技報及び他書籍には、ケロシンと書かれているため判断。
※3 LS-Aロケットの図面に、先行燃料タンクが存在するため、筆者推測。
JP-4, LOX, 硝酸等を扱う推力1t級の科学技術庁所有のテストスタンド
設置されているエンジンは、LE-1の可能性がある(場所はNALだろうか?)
◆調圧バルブ
小型のロケットであるため、エンジンに必要なバルブ類配管の性能向上、機構の簡略化は様々に検討された。その結果、調圧バルブとスタートバルブは、改良を行い、従来は2段式であったが、多少の調圧変動を許容し、機構を簡素化するため、1段式調圧バルブを採用した。
◆スタートバルブ
エンジンスタートは、爆管によるものである。瞬時に圧力が調圧バルブにかかるのを避ける為、バッファのバルブを置いて、影響を排除した。スタートバルブは、機体に搭載するため軽量構造のバルブとなった。着火遅れは、1s 以内であり、従って、約1sで定常状態の推力1tf、燃焼圧20kg/cm3に到達する。
◆地上燃焼試験の結果詳細
LE-1ロケットエンジンの地上燃焼試験の結果
7.LE-1ロケットエンジン開発への道のり
◆三菱重工における、液体ロケット開発史(~第二次世界大戦)
LE-1の製造は、三菱造船 長崎製作所(現 三菱重工 長崎造船所、その後推進系部門は名古屋に移動)が行った。
長崎造船所は戦時中、魚雷の推進系開発を担当し、最終的には、高性能魚雷である酸素魚雷の開発に至る。しかし第二次大戦前から、魚雷性能向上を図るため液体原動機の研究を実施し続けてきた。
狭いスペース中で、いかに原動機の性能を発揮するかという課題は、ロケットも同様であり、同じ要求をもっていることから、ロケットの研究にも至る。
このため、戦時中、秋水ロケット戦闘機に搭載された特呂二号ロケットエンジン(推力1500kgf,過酸化水素水/メタノール・ヒドラジン等混合燃料)(旧日本陸海軍)の開発を担当するに至った。LS-AのLE-1は、秋水の主任技師を勤めた平岡坦のグループによって開発される事となる。
この他にも、航空機発射ミサイル:イ号一型無線誘導弾に搭載された特呂一号(旧日本陸軍)、奮竜の推進装置(旧日本海軍)、航空機加速用ロケット(RATO)も手掛けている。
戦時中にMHI 長崎造船所が開発に携わったロケットエンジン一覧
References
[6] 航空学会誌 第6巻 第54号, 液体ロケットの研究について, 平岡坦
[7] 平岡坦, https://blogs.yahoo.co.jp/uchyuu_kaihatsu_shi/49439839.html
[8] 写真で見る日本の宇宙開発, 科学技術庁編
◆三菱重工における、液体ロケット開発史(戦後~LE-1開発)
戦後、財閥は解体され、GHQが日本の航空機開発禁止令を出した。1952年にサンフランシスコ講和条約の発効によって、ふたたび開発が可能となる。
1953年、当時3分割されていた西日本重工業(株)長崎造船所において、モノプロペラント(モノニメタン)に燃焼に関する研究を実施。戦後のMHIにおける液体ロケットエンジン開発が開始された。
1956年、防衛庁から地対空ミサイル用として研究開発を実施した液体ロケットエンジンの試作を受注。1957年に納入後、地上燃焼試験に成功する。推力500kgf(硝酸/JP-4, N.B.V.E)のエンジンであった。
一連の戦時中~戦後の研究開発において、MHI 長崎造船所は、日本国内において液体ロケットに関する製造の技術と知見を獲得した企業となった。
Blog:宇宙開発史んぶんでは、防衛庁の1963年までに発射したTLRM-1試験機に搭載された、500kgf液体ロケットエンジンについて、製作は長崎造船所が担当していること、そしてTLRM-1とLS-Aの推進剤タンク方式が酷似していることから、この500kgfエンジンの開発知見を基に、LE-1(1000kgf)の開発が行われた可能性を指摘している。
長崎造船所の社内試作 500kgf級ロケットエンジン
(水冷式、防衛庁向け開発の事前試験用?)
なお、防衛庁では、長崎造船所製作の下、硝酸/JP-4による液体ロケット用ターボポンプ(吐出圧力35kg, 16000rpm)の開発まで試作が進んだが、日の目を見ることなく終わりを告げた。当時、諸外国開発動向調査の結果、サイズが大きなミサイルは莫大な開発費がかかる事が判明したため、開発を短射程の固体燃料ミサイルに限定する方針に変更したからである。
防衛技術ジャーナルでは、「後に宇宙開発用液体ロケットに反映されることとなった」と記載されており、防衛庁第1研究所の黒田泰弘氏(当時2空佐)も科学技術庁宇宙開発推進本部(その後NASDA)に移り、Nロケット計画に携わる事となる。
防衛庁が開発していた2種類の試作液体ロケットエンジン用ターボポンプ
Nポンプ及びFポンプ(1964年)
プレパッケージドロケットの試作。ガス発生剤で即時発射ミサイルのロケットエンジンを目指した模様
(白煙硝酸/JP-4, 300kgf推力, 再生冷却式, Isp 195s)(1963年)
さて、これらを経て長崎造船所は、1961年、宇宙用液体ロケット推進系の研究に着手した。科学技術庁 宇宙開発研究本部より、「人工衛星打ち合上げ用ロケットのシステムデザイン」を受注。LS-Aロケット開発へと乗り出す。名古屋、長崎の両事業所の共同作業であり、後継機であるLS-Cロケットから、機体は名古屋、エンジンは長船とされた。(1961年3月重工合併)
References
[9] 宇宙開発史んぶん, LS-Aロケットの源流
https://blogs.yahoo.co.jp/uchyuu_kaihatsu_shi/48859220.html
[10] 航空学会誌 第6巻 第54号, 液体ロケットの研究について, 平岡坦
[11] 防衛技術ジャーナル, 国産ミサイルへの道
[12] 防衛庁技術研究本部技報 第177号
[13] 防衛庁技術研究本部技報 第221号
[14] 三菱重工名古屋航空機製作所二十五年史, 1983年12月
[15] 大先達の話を聞く, http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2004/03/post_2.html
[16] 海外における宇宙開発の動向, 黒田泰弘
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1888/94/11/94_11_1029/_article/-char/ja/
[17] JAXAデジタルアーカイブス, http://jda.jaxa.jp/
8.LS-Aの発射
当時は宇宙開発事業団も、その配下の種子島宇宙センター(現 JAXA)が存在しておらず、国産開発ミサイルの発射試験施設である、防衛庁 新島射場(現 防衛装備庁 新島支所)で発射試験が実施された。
本プロジェクトは、科学技術庁直属のものであったため、科学技術庁の千葉博課長が実験隊長を務めて指揮を取った。他5名の科学技術庁職員が発射試験に参加している。その下についた他試験隊員は、防衛庁職員、自衛官、メーカー社員(三菱重工等)、総員約150名で編成された。
新島射場でのLS-A発射は、3回実施された。
1号機、2号機:1964年7月22日
3号機:1965年11月22日
1, 2号機は、飛翔経路の途中でテレメータ断絶のトラブルがあったが(このため下記資料経路から途絶)、3基とも全体として成功を収めた。なお、当時の資料からは、高度100kmには届いてない様に読める。これは、計画ペイロードの重さに起因すると思われる。(計画値20~30kgに対して、40kg)
LS-A 1~3号機の飛翔経路と加速度線図
LS-A ロケット 1号機の発射(1964年7月22日, 東京都新島)
なお、LS-A 1号機より前に、第1段目のブースタなし、第2段目のLE-1単独で地上から発射する試験を行っている。(1964年8月10日)東大から第1段目のブースタを手に入れる予定だったが、交渉が完了せず、2段目のみで発射試験を行った。
L-Aロケットとも呼ぶべきこの発射は、発射数秒後にロケットは破断・分解し、発射場周辺の海岸に墜落した。原因は、整備用開口部コーナーに生じたクラックが瞬時に広がったのが原因と判断されている。
9.そして、LE-2ロケットエンジン開発へ
新島でのLS-A発射の成功は、続くLS-C開発に引き継がれる。1969年10月には宇宙開発事業団、その配下の種子島宇宙センターが設立され、科学技術庁が持つ宇宙専用の射場が開設された。
LS-Cは、種子島宇宙センターに場所を移して、試験が実施された。LS-Cの第2段目には、LE-1の後継である、LE-2ロケットエンジンが搭載されていた。
最後になるが、1960年に東大航空学科を卒業、新三菱重工業(株)に入社した、冨田信之氏は、LSロケット計画に従事していたと見られ、著書「ロシア宇宙開発史」のまえがき 1p目に当時の記述がみられる。
「満天の星と呼ばれる光景を国内で二度だけ見たことがある。1963年、東京都下新島南端の防衛庁発射場で一度、もう一度は、1960年代の後半、まだ宇宙開発推進本部竹崎射場だけあったころの種子島の南種子町上中でのことであった。」
参考文献で引用した書籍。
絶版で、中古でしか手に入らない状況みたいですが、どれももお勧めです。
- 「日本ロケット物語」:日本のロケット開発の歴史について、極めてまとまって書かれた本。ISAS系だけでなく、NASDAやNAL系列の歴史も詳しい。旧版と新版がありますが、両方絶版。旧版は、現在非常に安い価格で出回ってるので、良いです。
- 「ロシアの宇宙開発史」:冨田先生の大著。ロシア・ソ連の宇宙開発歴史では、日本で一番詳しく書かれた書籍。
English Version
LE-1 was Japan's first liquid-fueled rocket engine, which aimed to reach an altitude of 100 km in space. However, its true identity has remained a mystery for a long time.
I investigated all the literature in Japan (various books, National Space Development Agency of Japan (NASDA) reports, ISAS reports, National Aerospace Laboratory of Japan (NAL) reports, Mitsubishi Heavy Industries Technical Review, Defense Agency Technical Review, Journal of the Japan Society of Aeronautics and Astronautics, etc.) to the best of my knowledge in the public domain. What was Japan's first liquid rocket engine for space use? I am now writing to put an end to this mystery.
1.Japanese Liquid Rocket Engine: LE-X
The history of Japanese space engines starts with the LE-3 of the N-I rocket. Since LE-2, which was developed before LE-3, is described as a "tubular liquid rocket engine" in the technical report of the time, it was not officially named at the time of its development, but is thought to have been retroactively numbered at the time of naming during the development of LE-3.
In the past, the ISAS (Institute of Space and Astronautical Science), affiliated with the Ministry of Education, and the NAL (National Aerospace Laboratory), affiliated with the Science and Technology Agency, existed as laboratories involved in Japanese space development. In 2003, the National Space Development Agency of Japan (NASDA), a special corporation under the Science and Technology Agency, was added to the ISAS and the National Aerospace Laboratory of Japan (NAL), which were merged into JAXA.
Both ISAS and NAL had several engine prototypes for research, including a rocket engine with nitric acid/kerosin-based room temperature storage propellant, or a liquid oxygen/liquid hydrogen engine.
However, they were never named "LE-X" (X is a number). From this fact, it can be said that the name LE-X is a premium title given to a rocket engine that is not simply for research, but is implemented in a rocket to be launched into space, or is intended to be used for practical purposes.
It is a digression, but the rocket engine named LE-X has been in practical use and mass production only with an odd number of Xs since the development of LE-3. (LE-3, LE-5, LE-7)
Here, if X is an even number, it has not been put to practical use and mass production. (LE-6, LE-8) For this reason, it is rumored that rocket engine manufacturers want to get odd-numbered development contracts for good luck.
Also, if you look at the whole picture, the odd-numbered LE-X has reached space and is being launched into space. (LE-1, LE-3, LE-5, LE-7) All of these engines are made by Mitsubishi Heavy Industries (MHI).
LE-9, which is scheduled to be installed in the H-3 rocket now under development in 2018, is also an odd-numbered engine, also made by MHI.
2.Missing numbering Rocket Engines: LE-X
The identity of the missing numbering rocket engines such as LE-1, LE-2, LE-4, LE-6, etc. had been unknown for a long time, but indirect information was unearthed in the data of the American Institute of Aeronautics and Astronautics (AIAA).
Liquid rocket engine developed by NASDA
According to this, LE-1 is described as the engine installed in the second stage of LS-A rocket. This is the starting point for the investigation of LS-A's second stage engine.
References
[1] 日本液体ロケットエンジン欠番資料発掘
https://togetter.com/li/639078
[2] AIAA93-2598
[3] 日本ロケット物語, 大澤弘之
3.LS-A rocket development project
LS-A was the beginning of liquid rocket development and the development of a commercial space rocket engine at the Science and Technology Agency, which was taken over by NASDA after 1969. The NAL, which already existed, also participated in the project in the development of the LS-A airframe and other projects. This was the first and last time that the Science and Technology Agency, an administrative agency, directly executed rocket launch operations.
In accordance with the decision of the Space Development Council of the Prime Minister's Office, the Science and Technology Agency started space development work in 1961. This triggered the development of the LS-A rocket, which was named "liquid rocket for observation up to an altitude of 100 km", which began in 1961. Mitsubishi Shipbuilding Nagasaki Shipyard & Machinery Works (now Mitsubishi Heavy Industries, Ltd.) received an order for the LS-A rocket.
At first, it was called SLR (Sounding Liquid Rocket). Later, the second stage was named "LS Rocket (Liquid-Solid)" officially because the second stage was a liquid rocket and the first stage was a solid rocket. The booster was a solid and the sustainer was a liquid. The liquid rocket engine of this second stage is LE-1.
Ostensibly, the development purpose of LS-A is the development of the sounding rocket. It was titled to work on the themes of typhoon observation and weather control. However, those missions can be accomplished with a full-stage solid rocket, and liquid rockets are over-specified.
The true intention of the Science and Technology Agency (STA) was to obtain knowledge on the development of large liquid rockets for future use in space. In fact, the University of Tokyo already had an observation rocket that had been developed from a pencil rocket, and the NAL was developing an all-stage solid rocket for the Agency's observation rocket at the same time. (SA, SB, SC rockets)
The plan is to develop a liquid rocket for the launch of practical satellites that will have a high specific impulse and be easy to use for attitude and guidance control, in anticipation of the N-rocket project (formerly known as the Q rocket).
LS-A rocket
4.LS-A rocket specifications
Length: 7553-7550mm (1st stage: 3231mm, 2nd stage: 4545mm)
Diameter: 1st stage: Φ350mm, 2nd stage: Φ300mm
Weight: 1st stage: 475kg, 2nd stage: 290kg (empty weight 170kg, 110kg)
First Stage: Solid-state rocket motors
(Asahi Kasei Corporation, hypoan composite)
Isp about 210s, Thrust 6tf, Burning pressure 45kg/cm2
Second Stage: LE-1 Rocket Engine
Mass ratio: 1.65 (first stage), 1.93 (second stage)
Payload: 40kg (planned value: 20-30kg)
High degree: 100-150 km (planned)
Horizontal distance: 100 to 250 km (planned)
Total Thrust: 60 t s
5.Contractor for LS-A rocket
Company chart for LS-A rocket contract
With Mitsubishi Heavy Industries Nagasaki as the main contractor, a number of companies engaged in space development today are participating in the development of LS-A, including Mitsubishi Electric, Canon, Fujikura, Kawasaki Heavy Industries, IHI Aerospace (Nissan Motor), Asahi Kasei, and NEC.
References
[4] LS-A型ロケット, 文部科学省
http://www.mext.go.jp/a_menu/kaihatu/space/kaihatsushi/detail/1299740.htm
[5] LS-A型液固体二段式ロケット, 慶本忠雄他, 三菱重工技報
6.LE-1 rocket engine performance specificationsL
The following are the performance values of LE-1 as judged by the author, based on the consistency of multiple sources. Unfortunately, I was not able to obtain specific photos or drawings of LE-1.
Thrust: 1.0 tf (1000kgf)*1
Propellant: Nitric acid/kerosin *2
Propellant supply method: gas push type
Burning pressure (Pc): 20 kg/cm2
Burning time: 25 s
Specific impulse: Approx. 200 s
Propellant flow rate: 4.72 kg/s
Diameter: Φ300 mm or less
Expansion ratio (epsilon): 3
Cooling method: Regenerative cooling
Ignition system: Self ignition system *3
LE-1 rocket engine mounted on LS-A rocket
*1 According to MHI's data, the upper limit for LS-A Units 1 and 2 is 1050kgf, etc.
*2 Although AIAA93-2598 states "Nitric acid/UDMH," the manufacturer's technical report and other books refer to it as "Kerosene.
*3 The author's guess, since there is a preceding fuel tank in the drawing of LS-A rocket.
JP-4, LOX, a 1t class thrust test stand owned by the Science and Technology Agency that handles nitric acid, etc.
The engine installed could be a LE-1 (location NAL?)
◆Pressure regulating valve
Because it is a small rocket, various studies were made to improve the performance of the valves and piping necessary for the engine and to simplify the mechanism. As a result, the pressure regulating valve and the start valve were improved, and a single-stage pressure regulating valve was adopted to allow some pressure fluctuation and to simplify the mechanism from the conventional two-stage type.
◆Start valve
The engine start is due to the blast tube. A buffer valve was placed in order to avoid instantaneous pressure buildup on the pressure regulating valve, thus eliminating the effect. The start valve was a lightweight structure to be mounted on the fuselage. The ignition delay was within 1s, so the steady-state thrust of 1tf and combustion pressure of 20kg/cm3 was reached in about 1s.
◆Detailed results of the ground firing
Results of the LE-1 rocket engine ground firing
7.The Road to LE-1 Rocket Engine Development
◆The History of Liquid Rocket Development at MHI (World War II)
LE-1 was manufactured by Mitsubishi Shipbuilding & Engineering Nagasaki Shipyard (now the Nagasaki Shipyard of Mitsubishi Heavy Industries, Ltd. (The propulsion division was moved to Nagoya).
MHI Nagasaki was in charge of the development of torpedo propulsion system during the war, which eventually led to the development of the oxygen torpedo, a high-performance torpedo. However, even before the World War II, the shipyard continued to study liquid motors in order to improve the torpedo's performance.
The problem of how to improve the performance of the prime mover in a small space was the same for rockets, and since they had the same requirements, this led to research on rockets as well.
This led to the development of the Tokuro II rocket engine, which was installed in the Shusui rocket fighters during the war. (1,500 kgf thrust, mixed fuel such as hydrogen peroxide/methanol and hydrazine, etc.) The LS-A LE-1 was developed by Hiraoka's group, who worked as chief engineers at Shusui rocket fighter.
In addition, it was also used for the aircraft-launched missiles: No. I radio-guided missiles (former Japanese Army), Fenryu's propulsion system (former Japanese Navy), and Rocket Assisted Take Off (RATO).
In addition, the company also produced aircraft-launched missiles: the Toku-ro-1 radio-guided missile mounted on the I-No.1 radio-guided missile (former Japanese Army), the propulsion system of the Fenryu (former Japanese Navy), and the Rocket Assisted Take Off (RATO).
Japanese Rocket engines during World War II developed by MHI Nagasaki
References
[6] 航空学会誌 第6巻 第54号, 液体ロケットの研究について, 平岡坦
[7] 平岡坦, https://blogs.yahoo.co.jp/uchyuu_kaihatsu_shi/49439839.html
[8] 写真で見る日本の宇宙開発, 科学技術庁編
◆The History of Liquid Rocket Development in MHI (After WWII - Development of LE-1)
In 1953, the Nagasaki Shipyard and Machinery Works of Nishinippon Heavy Industries, which was divided into three parts at the time, conducted research on the combustion of monopropellant (mononimethane). conducted. Development of liquid rocket engines at MHI after the war began.
In 1956, MHI received an order from the Defense Agency for a prototype liquid rocket engine developed for use in surface-to-air missiles, which was delivered in 1957 and successfully tested for ground firing. The engine had a thrust of 500 kgf (nitric acid/JP-4, N.B.V.E.).
In a series of research and development during and after the war, MHI Nagasaki became the company which acquired the technology and knowledge of liquid rocket manufacturing in Japan.
In Blog:History of Space Development, I wrote about 500kgf liquid rocket engine in TLRM-1 test plane which was launched by 1963 of the Defense Agency, because Nagasaki Shipyard was in charge of manufacturing and the propellant tank system of TLRM-1 and LS-A were very similar. Based on the findings of the engine's development, it is noted that LE-1 (1,000 kgf) may have been developed.
Prototype 500 kgf class rocket engine by MHI Nagasaki
(Water-cooled, for pre-testing for development for the Japan Defense Agency?)
The Japan Defense Agency developed a prototype of a liquid rocket turbopump (discharge pressure 35 kg, 16000 rpm) with nitric acid/JP-4 under Nagasaki Shipyard , but it never saw the light of day. At that time, a survey of development trends in other countries revealed that a large-sized missile would cost a huge amount of money to develop, so the policy was changed to limit development to short-range solid-fuel missiles.
The Japan Defense Technology Journal states that this policy "was later reflected in liquid rockets for space development," and Mr. Yasuhiro Kuroda (then Air Commodore 2) of the Defense Agency's First Research Institute also moved to the Office of Space Policy and Technology Promotion (then NASDA) and became involved in the N-rocket project.
Two prototype liquid rocket engine turbopumps being developed by the Defense Agency : N and F pumps (1964)
Pre-packaged docket prototype. Aimed at rocket engines for immediate launch missiles with gas generators.
(White nitric acid/JP-4, 300kgf thrust, regenerative cooling, Isp 195s) (1963)
In 1961, Nagasaki began research into liquid rocket propulsion systems for space use. The Science and Technology Agency (STA) of the Japanese Government awarded the company a contract to design a rocket system for launching satellites, and the company embarked on the development of the LS-A rocket. Starting with the LS-C rocket, the successor to the LS-A, the fuselage was assigned to Nagoya and the engine to Osafune. (Merged with Mitsubishi Heavy Industries in March 1961)
References
[9] 宇宙開発史んぶん, LS-Aロケットの源流
https://blogs.yahoo.co.jp/uchyuu_kaihatsu_shi/48859220.html
[10] 航空学会誌 第6巻 第54号, 液体ロケットの研究について, 平岡坦
[11] 防衛技術ジャーナル, 国産ミサイルへの道
[12] 防衛庁技術研究本部技報 第177号
[13] 防衛庁技術研究本部技報 第221号
[14] 三菱重工名古屋航空機製作所二十五年史, 1983年12月
[15] 大先達の話を聞く, http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2004/03/post_2.html
[16] 海外における宇宙開発の動向, 黒田泰弘
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal1888/94/11/94_11_1029/_article/-char/ja/
[17] JAXAデジタルアーカイブス, http://jda.jaxa.jp/
8.LS-A rocket launch
The National Space Development Agency (NASDA) and its subordinate Tanegashima Space Center (now known as JAXA) did not exist at the time, and the tests were conducted at the Niijima Launch Complex (now the Niijima Branch of the Defense Acquisition and Acquisition Agency), which is a launch test facility for domestically developed missiles.
Because the project was under the direct control of the Science and Technology Agency, Hiroshi Chiba, Director of the Science and Technology Agency, headed the test team. Five other SSA employees participated in the test. The other members of the test team, which was under the command of Mr. Chiba, consisted of about 150 people, including Defense Agency personnel, Self-Defense Force officials, and manufacturer's employees (such as Mitsubishi Heavy Industries).
Three LS-A launches were conducted at the Niijima launch site.
Units 1 and 2: 22 July 1964.
Unit 3: November 22, 1965
Although the first and second had telemeter breakage trouble in the middle of the flight path (for this reason it was cut off from the route shown below), all three units succeeded as a whole. From the data at the time, it appears that the altitude of 100 km was not reached. This may be due to the weight of the planned payload. (40kg compared to the planned value of 20-30kg)
Flight path and acceleration diagram of LS-A 1-3
Launch of LS-A rocket No. 1 (July 22, 1964, Niijima, Tokyo)
Prior to LS-A-1, the first stage was tested from the ground without a first stage booster and with the second stage LE-1 alone. (August 10, 1964) The plan was to get the first stage booster from the University of Tokyo, but negotiations were not completed, so the launch test was conducted with the second stage only.
The launch, also known as the L-A rocket, broke and disintegrated a few seconds after launch and crashed on the beach near the launch site. The cause was determined to be the instantaneous spread of a crack in the maintenance opening corner.
9. To the development of the LE-2 rocket engines
The success of the LS-A launch at Niijima was followed by the development of the LS-C. In October 1969, the National Space Development Agency of Japan (NASDA) and its Tanegashima Space Center (TNSC) were established, which opened a dedicated launch site for the Science and Technology Agency.
The second stage of LS-C was equipped with the LE-2 rocket engine, the successor to LE-1, which was tested at the Tanegashima Space Center.
Lastly, Mr. Nobuyuki Tomita, who graduated from the University of Tokyo's Department of Aeronautics and Astronautics and then joined Mitsubishi Heavy Industries, Ltd. in 1960, seems to have been involved in the LS rocket project, and there is an account of that time in the first page of his book "History of Russian Space Development".
He wrote: "I have seen the starry sky only twice in Japan: once in 1963 at the Defense Agency launch site on the southern tip of Tokyo's Shimo-Niijima Island, and once in the late 1960s in the town of Minami-Tane on Tanegashima Island, when there was only the Takesaki launch site of the Space Activities Headquarters.
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